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給食の歴史から学ぶ給食の歴史から学ぶ

掲載日:2019年10月23日
ステークホルダー : 業界
キーワード : 教育機関 有識者コメント 給食業界

給食の歴史から学ぶ|京都大学人文科学研究所准教授 藤原辰史様にインタビュー

 日清医療食品は病院・介護福祉施設向け、給食受託会社のリーディングカンパニーとしての透明性の高い経営にするため、すべてのステークホルダーの皆様に対し、積極的かつ公平・迅速な情報開示に努めています。

 また、当ホームページではWebの特性を活かし、双方向のコミュニケーションツールとして、CSRへの取り組みの最新情報を随時公開しています。

 日清医療食品ではステークホルダーエンゲージメントを、社会課題の解決の手法や組織の決定に関する基本情報を提供する目的として、組織と一人以上のステークホルダーとの間に対話の機会を作り出すために試みられる活動と捉えています。

 今回、第10回辻静雄食文化賞受賞作「給食の歴史」(岩波書店)の著者でもあり、農業史、食と農の思想、ドイツ現代史を専門とされている京都大学人文科学研究所准教授 藤原辰史様に給食の歴史から学ぶ給食従事者の社会的意義についてインタビューいたしました。

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京都大学人文科学研究所准教授 藤原辰史様

インタビューに答えていただいた、京都大学人文科学研究所准教授 藤原辰史様

Q.京都大学人文科学研究所准教授 藤原辰史様の研究テーマを教えてください。


【20世紀における農業史】


 私自身は日常に溶け込み当たり前のことと思われがちな“食”を基軸に歴史学、農業史を研究しています。

 歴史学と言っても現代史、特に20世紀の農業を主としています。
 よく言われるように、20世紀は戦争と革命の時代です。

 農業ではトラクターや農薬や窒素合成肥料が産み出されましたが、兵器として戦車や毒ガスや火薬が大量に産み出されました。

 『戦争と農業』(集英社インターナショナル)という本で書いた通り、実は、トラクターは戦車技術の応用であり、空中窒素固定の工業化は、窒素肥料のみならず火薬の大量生産をもたらしました。

 戦争では多くの人が亡くなりましたが、ヨーロッパやアジアで、戦闘による被害だけでなく、飢えでなくなった方も多くいたことは、あまり知られておりません。

 ここでは、ドイツの“食”について紹介したく思います。
 第一次世界大戦時、ドイツは世界第1級の工業国、科学立国でした。

 ただ、ドイツは、国民や家畜の食糧を三割程度、国外からの輸入に頼り、農民たちも戦争に駆り出されたため、ドイツ国内では都市を中心に飢餓が蔓延しました。この悲惨な体験から「子供たちを飢えさせない」というスローガンを掲げ、ドイツ国内の食糧自給率の向上、構築を目指しました。

 世界史の中でも特異というべき暗黒時代をもたらしたナチスの根幹には、農業蔑視に対する怒り、食べ物に対する恨み、生きることに対する不安があったことを忘れてはなりません。

 また、20世紀の食のドイツ史を明らかにしていく具体的な取り組みの1つとして、家庭の台所の合理化の研究があります。これは『決定版 ナチスのキッチン』(共和国)で論じました。

 コレラなどが流行した19世紀以降衛生面の重要性から、調理場は壁の中へ閉じ込め衛生状態を改善するために、貧富にかかわらずあらゆる家庭で合理化された台所の導入が求められていました。

 さらに、第一次世界大戦後の住宅不足の中で、安価で大量生産できるシステムキッチンが設計され、爆発的にドイツに広まります。システムキッチンとは、シンク、戸棚、コンロなどが一体となったキッチンのことです。

 現在では家庭にシステムキッチンがあるのは当たり前となっていますが、そのルーツを知ることで、これからどんな理想の台所が存在すべきかを考える際に役立ちます。

決定版 ナチスのキッチン

Q.「給食の歴史」を書かれた背景と日本の学校給食の歴史から今私たちが学ぶべきポイントを教えていただければと思います。


【子どもたちは養えているのか?】


『ナチスのキッチン』では、1家に1台システムキッチンが導入された過程を論じましたが、その過程で共有キッチンの試みも完全に捨て去られることはありませんでした。

 現在の日本の子どもたちのうち、6人に1人は貧困状況です。この状況は文化的生活が営めていないという意味でもあります。

 この背景には、富裕層と貧困層のさらなる拡大をもたらした日本の経済・福祉政策のまずさがあります。その穴を埋める家庭の在り方も大きく変わってきており、核家族により家庭でケアできる範囲が減ってきています。

 そのため、家庭だけで子どもたちの食事に対処することが難しい状況です。

 確かに、最近では家族以外と食事ができる「子ども食堂」が増えてきていて、本当に尊い試みですが、週に1回、あるいは、月に1回の開催のところが多いです。そして、この「子ども食堂」が増えてきていることは社会の危機の反映でもあります。

 このような状況で、今の子どもの貧困を支えている重要な制度が学校給食であることはあまり知られていません。

 以上のような問題意識から、学校給食の歴史を研究しました。

学校給食の一例

【給食の前提】



 給食とは、主として、工場(産業)給食、病院給食、学校給食の3形態に分類されます。

 日本の場合工場給食は1873年に群馬県の富岡製糸場で、病院給食は1902年に東京市の聖路加病院で、学校給食は山形県鶴岡町(現:鶴岡市)忠愛小学校で始まったとされています。

 もちろん、それ以前にも類似の形態があったかもしれませんが、前述の通り「子どもの貧困」を基軸に考えているため、学校給食をメインの題材として研究しました。

 学校給食には様々な性格があります。

 まず、家族以外の人と食べること、次に家が貧しいことのスティグマを子どもに刻印しないこと、そして、給食は食品関連企業の市場であること、最後に教育であることです。

 給食とは、単なる栄養補給ではなく、文化的な行為です。

 食を通じて、子どもたちは、国語、数学、理科、社会などを学ぶこともできます。

 たとえば、食材から命の大切さを、その食材がどのように運搬されて、調理されるのかなど、非常に多くを学べます。

 また、家族以外と食事をする効果はとても大きいですね。

 周りが食べているから、嫌いな食事でも食べてみようか、というきっかけになることもあります。

 家庭で食べることがない食材に接する機会でもあることから、多彩な食文化についても学べます。

 特に給食では「コッペパン」「ソフト麺」「くじら肉」など通常の生活で出会わない食材にも出会います。

 これらのメニューの背景には、アメリカ、オーストラリア、カナダから小麦を購入する貿易構造や、コストカットのために安価な食材を使用するなど様々な理由がありました。

 また、給食を振り返ると使用する食器がお盆と一体型なのかアルミなのか、また先割れスプーンを使用するのかなど色々な給食なりの「食文化」もあります。

 給食の歴史は上からのみではなく、様々な運動により下からも作られた歴史であることも忘れてはなりません。

 また、日本の学校給食は、他国と異なり、片付けや掃除も子どもたちが行なっているため、教育活動的性格がかなり強いことが特徴です。

【給食の歴史】


 詳細については、『給食の歴史』(岩波書店)に記してあるので参照いただければと思いますが、戦後の日本は食糧難と不作により多くの子どもが栄養不良に陥り、餓死と隣り合わせの状況でした。

 本来社会的弱者である子どもは守られないといけないですし、子どもが餓死する社会に未来はありません。

 そこでGHQが導入したのが給食でした。

 給食によって、貧困児童を救い、民心を鎮め、占領政策を円滑に遂行することが目指されたのです。

 戦後の日本の食糧難を救ったのは、アメリカからの小麦と脱脂粉乳でした。

 第一次世界大戦後から、食糧の大量生産が可能となったアメリカで、作りすぎによって農産物の価格が下落し、多くの農家が苦しんでいたこと、余剰食糧がアメリカにあったことなどその背景は様々です。

 戦後の給食を語る上で重要な人物は、GHQの陸軍軍医でもあり、公衆衛生福祉局の局長でもあるクロウフォード・サムス准将です。

 サムスは、日本人の栄養状態が米を食べ過ぎてたんぱく質の摂取が少ないことを指摘し、その結果から安価で摂取できる脱脂粉乳と小麦粉を使用したコッペパンが導入されました。

 コッペパンと脱脂粉乳の導入により、欠食児童の救済や子どもの体位の向上という結果も出ましたが、サムスは子どもの味覚を変え日本の食生活パターンを変えることも考えていました。

 実際、1964年に上院議員のジョージ・マクガヴァンはこのような発言をしています。

「アメリカがスポンサーになった日本の学校給食でアメリカのミルクやパンを好きになった子供たちが、後日、日本をアメリカ農産物の最大の買い手にした」。

 また、安価なタンパク源として給食で用いられる食材は時代によって変わってきています。

 1950年代の給食初期ではくじら肉が安価で提供され、鶏肉が安価になるまで長い間重宝されてきました。

 給食で「くじらの竜田揚げ」を食べていた方も多いでしょう。私もその一人です。

給食の歴史(岩波書店)

【給食の問題点と今後に向けて】


 学校給食でも中学校給食のまだまだ普及は低いです。

 未来を担う子どもがしっかり食事ができることを政策目標の中心にし、食料が供給できるようにしないといけないと私は考えています。

 けれども、平成30年時点でのカロリーベース総合食料自給率は37%です。

 そのため、国産品だけで対応することができず輸入を活用しないといけない状況であるのも事実です。

 これは、給食という側面以外にも理由はありますが、海外から小麦粉を輸入することで国産の農家に影響があったのも事実です。

※カロリーベース総合食料自給率とは…「日本食品標準成分表2015」に基づき、重量を供給熱量に換算したうえで、各品目を足し上げて算出。
これは、1人・1日当たり国産供給熱量を1人・1日当たり供給熱量で除したものに相当。

 私たちは、歴史から学ぶことができます。歴史を疎かにする人は、現在も疎かにします。

 現在の日本の農業、酪農、漁業は危機的な状況にあります。

 今までは目の前にある食事をただ食べるだけで良かったかもしれないが、もうすでにそういう時代は終わりを迎えてきています。

 一般消費者は目の前の食事を通じて、生産者のことを知り、また顔が知れる状況であることが望まれます。

 これは提供側も食の安全・安心を踏まえる上で情報発信が必要になります。

 歴史から学ぶことは2点あります。

 一つ目は、「食べること」は、いつも政治の中心的課題にあるべきということ。

 二つ目は、社会や環境の変動があっても、食糧を安定的に供給できる体制を構築すること。

 この二点は、残念ながら、今の日本では実現されていません。

【従事者の社会的地位向上を】

※第10回辻静雄食文化賞

 『給食の歴史』を書いている中で、現場で調理をしている方が仕事に「誇り」を持たれていること、そして、子どもたちのために様々な苦労をされていることを改めて知りました。

 とともに、現場で働かれている方が社会からあまり評価されていないことに憤りを感じました。

 もっと現場の調理師たちの苦労を私たちは知らなくてはなりません。第10回辻静雄食文化賞を受賞した際に、取材させていただいた調理師の方がわざわざ大阪から受賞会場に駆けつけてくださいました。

 ひとつの会場で、銀座の有名なケーキ店のパティシエやフレンチ店のシェフと同じ場所に給食の調理師がいることこそ、これからの食文化を考えるうえで極めて重要だと感じました。

 おいしい食べものをできるだけ多くの人に提供したいという思いは皆さん変わりません。食文化がその原点から離れることは、食文化の生命を断つことと同義です。

 これからもっと集団給食を作っている現場の方に、注目が集まるようになればと思っています。

 また、栄養士も食のプロとして、食事内容だけではなく食文化やその歴史的背景を伝えている方もたくさんおられますし、地域によっては農家と膝を突き合わせて子どもたちのための食材調達を頑張っている方もおられます。

 調理師とともに栄養士の苦労も、私たちはもっと知らなくてはならないでしょう。

Q.当社は給食の中でも病院・介護給食に特化している企業ですが、今後この業界に求めることがあれば教えてください。


【働いている人にスポットライトを】

 医療や食に関わる業務は「命」に直結します。そして、命に関わる業務は、命を救うという点でブラック化しやすい業種であります。

 特に近代社会においては医療、食、教育に関わっている人にしわ寄せが行く流れになっています。また、家庭労働といったシャドーワークも同じです。

 現代史を研究していると、こういう命に直結する業務をしていた人たちほど、史料が残りづらく、後世の人たちが知る方法が多くありません。

 そのため、歴史的に見ても価値ある業務であることを、もっと知ってもらえるよう努力をしていただきたいです。

【食事=人生の人へのフォローを】

 病気で苦しんでいる方、高齢によりケアが必要な方にとっては、生きるための「食事」の比重がかなり高くなり、「食事=人生」となっているかと思います。

 私には鳥取県の米子市で言語聴覚士をしている幼馴染みの友人います。

 その友人は高齢の方が食事を飲みこめるためのケアをしていて、この前一緒にお酒を飲んだとき、彼が、その仕事にとてもやりがいをもっていることを感じました。ご高齢の方は、飲みこめるようになると、生きる自信を取り戻すようになるそうです。

 患者さんと信頼関係を保つために、友人はリクエストを受けてギター片手に歌をうたっているそうです。

 その話を聞いたとき、「食べること」や「食べさせること」はやはり総合文化であり、医療行為の根幹でもあると感じました。 

 医療・介護という側面上、どうしても医療行為や薬に注目が行きますが、食べることで改善できることは非常に多くあります。

 そして、食べることで体だけでなく、心もリカバーできます。日本はポリファーマシーの問題がありますが、食を通じて治療できる領域はもっと大きいはずです。食べものがもっているポテンシャルを広く知ってもらうことが重要だと思います。

 最後に調理をしている人が、もっと、食べている方と触れ合える場が必要だと考えます。私自身、大学の食堂で食事をしていても、作っている方と交流がなかなかできていません。

 また、提供されている料理はどうしても大量調理のため、その人らしさの伝わる食事になりにくい。

 食べものの味、そして食べものの治癒力は、それにまつわる人間関係によって大きく変わるはずです。

 なぜならば、食べることは、その周囲の物語によって何倍も美味しく感じるようになるからです。

 難しいのはもちろん理解していますが、調理をする側の個性とアイディアを制御するのではなく精一杯活かし、食べる側がもっと美味しく、しかも楽しく食べられるような食事提供の取り組みを、考えていただければと思います。

※所属・役職名はインタビュー時になります。インタビュー日:9月20日

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