「食」の側面から医療・福祉を見つめ支える日清医療食品。ヘルスケアフードサービス業界のリーディングカンパニーです。日清医療食品株式会社

CSR/社会貢献活動の取り組み

第七回 ありがとうの「心」運動 エピソード第七回 ありがとうの「心」運動 エピソード

応募総数 62通
テーマ:「勇気づけられた言葉」

受賞作 エピソードはこちら

「守るべき存在が」

「守るべき存在がいる人は一生懸命やってくれると思う!!」この言葉は面接のときチーフにかけていただいた言葉です。

当時子供が3才、1才と小さく、就職の厳しさを感じていた私は何度もこの言葉に勇気付けられました。

これまで休みがちになったり、色々と迷惑をかけることもありましたが、いつも温かく見守って支えて下さいました。

一緒に働く皆さんはお母さんでもあります。

今よりもっと仕事と子育てとの両立が厳しい時代を頑張ってきた方々です。当時の話を聞く度、尊敬と感謝の気持ちが溢れてきます。

自分がしてもらいたかったこと、してもらって嬉しかったことをしてあげよう・・・という皆さんの思いがあったことを知り、私も恩返しがしたいと思いました。

今、調理師資格取得に向けて勉強中です。1日でも早くより貢献できる仕事をし、この事業所での心温まる経験をつないでいけたらと思います。
(北海道支店 Kさん)

「大丈夫か?救助に行くか?」

4年前の正月2日の通勤時、道路は圧雪状態の大変冷えた朝の事でした。

信号を曲がり間もなく、車は大きく道路反対側に蛇行しました。驚いた私がハンドルを左に切ったら、今度は、車が大きく左に動き歩道を乗り越え道路沿いの木に衝突か!という寸前で止まりました。

車を降りようとしましたが、ドアは開かず一瞬途方にくれました。

まず家族に連絡、次に職場に連絡を入れました。

その時、電話に出てくれたのが、Iさんでした。状況を話し、遅れる旨を話すと、「大丈夫か?救助に行くか?」と言ってくれたのです。

その一言で私の恐怖と不安は一瞬で安心へと変わりました。朝の忙しい中、自分の事より、相手を思う思いやりに感謝です。

その後、私は通りがかった親切な方に車を牽引していただき、怪我もなく、車も大きな損傷なく、家族が到着した時には全てが終わった後でした。

そして、その日は一日中何事もなかったように通常勤務を終える事が出来ました。

とっさの時にかけていただいた、あの「大丈夫か?救助に行くか?」は私には大切な、大切な「勇気付けられた言葉」です。

彼は日常の業務の中で誰にでも、いつも微に入り細に入り助けてくれる人です。この様な素晴らしい出会いをさせていただけた日清医療食品㈱に感謝しています。
(仙台支店 Oさん)

「フレー フレー」

数年前のことですが、今回私はこの場を借りて伝えたいことがあります。

前の事業所で知り合い、今でも時々食事をしたり旅行に行ったりしていますが、伝えてないのです感謝の気持ちを。

その人は私より先に異動になり、次に私も異動することになり精神的に不安でした。

もう若くもないし。事業所によって仕事の流れ、食事形態、食札の並べ方、あと人間関係等いろいろありますよね。

経験のある人なら多少私の気持ちも理解してもらえると思いますがそんな時、あと何日かで異動となる仕事帰りの車の中、メールが届きました。

車を停めて何かなって見ました。そしたら、「フレーフレーK、あなたなら出来る」って書いてありました。

うれしくて、うれしくて泣いてしまいました。

頑張らないと駄目だと思いました。勇気をもらえたって伝えたいのです。

私にとってこれから先、支えとなる言葉です。

今でも悩んだり落ち込んだりしたときは心の中でその言葉「フレーフレーK」って叫びます。前進できました。救われました。本当にありがとうございました。

これからもよろしくお願い致します。
(北関東支店 Nさん)

「自信につながって」

私が所属するこちらの事業所では、患者様よりも、職員様の食数のほうが多く、院長先生のご意向により、家庭に近い料理や味を提供するようにと言われております。

私は栄養士ですが、正直、調理経験が少なく、家でもご飯が用意されているような環境にいました。

そんな経験のない私のために、先にこちらの事業所に配属されていた調理師の方に、野菜の切り方から調理のコツ、料理の知識、盛り付けの工夫、調理器具の使い方など、美味しい食事を作る為に必要なことはすべて教えていただきました。

そうして、配属されてから2年が経ち、今は1人で調理ができるようになり、お客様からは、食事が美味しいという評価をいただいております。

その調理師の方は、ただ教えるだけではなく、他愛の無い話をしてくださったり、「あなたならすぐできるようになるわよ」という言葉をかけてくださったり、うまくできたものには、「もうこの料理は合格ね!」とお墨付きをもらえたり、自信を持たせてくれるように、日々、接してくださっていたのだと私は感じました。

いつか、私の元に、私と同じような栄養士やパートの方が来たら、私もこの調理師の方のようにできるように、これからも精進していきたいです。
(東京支店 Uさん)

「大丈夫ですよ」

私がまだ、給食業界に入って間もない頃、管理栄養士ということもありいきなり事業所責任者を任せられました。

なにも分からない私に、一から指導して頂いた女性がいます。私が、何か失敗したりしそうになったりすると「大丈夫ですよ」と言ってから指導されました。

まず、ひと言めの「大丈夫」のお陰で、あわてずあせらず指導される言葉が頭にはいってきます。

緊急対応の時でも、最後に必ず「でも大丈夫ですよ」と言葉をかけてくれました。

当時、失敗したり落ち込んだ時、この言葉に何度救われたことでしょう。そして、前に明日に進む勇気をくれる言葉でした。あの言葉がなかったら、今の私はなかったかもしれません。

「大丈夫ですよ」と、今度は新しい方に私が言う番と思い仕事をしています。
(東京支店 Aさん)

「笑顔!」

今年の4月、事業所異動がありました。私にとって初めての異動だったので、不安でいっぱいでした。新規の事業所ということもあり、全員が初めてのことばかりで試行錯誤をしていました。

その中で担当スーパーバイザーは、準備の段階からオープン後もずっと周りの皆のことを気にかけ、支えてくださいました。

オープンして間もない頃は現場に入ってくださり、指示等もしてくださり、オープンを乗り越えることができました。そのお陰で今でも元気に仕事が続いています。

朝会えば笑顔で「おはよう!」と「お疲れ様!」など全員に分け隔てなく挨拶してくださり、いつも元気をもらっています。

事業所から帰る時は、いつも全員に必ず一言一言声をかけ、頑張っている人には「ありがとう。」と声をかけてくれます。

「笑顔でない事がなくてすごい!!」と皆で話すこともあるくらいです。

「スーパーバイザーが支えてくれているお陰で頑張れる!」というパートさんもいます。

私たちにとって支えとなっている存在です。その一言、一言で元気をもらっている人も多いと思います。
(東京支店 Yさん)

「あの言葉があったから」

日清医療食品がI市立養護老人ホーム「●●●」を受託することになりました。

担当SVはOさん。

初めのころは人が足らず、Oさんが自ら応援に来ていました。

Oさんとは初対面でしたが、応援に来るにつれOの人柄等が分かってまいりました。

Oさんは日清に誇りと自信を持っており、SVという自分の仕事に対し命がけで仕事をしているように感じました。

ある時、仕事中にOさんに「Oさん、職場は枡で計ったようにはいきません。」と言いますと、Oさんは「Nさん、現場は枡で計ったようにして下さいね。」と言われ、はっと気がつきました。

介護食は慣れで作るものではなく、枡で計ったようにきっちり作るということを考えさせられました。

あれから、10数年日清に勤めておりますが、ふとOさんの言葉を思い出します。

「枡で計ったようにやる」この言葉があったからこそ、日清で10数年勤められたとOさんに心から「ありがとう」と感謝の気持ちを言いたいです。

 もう一人は、半年ほど前に「▲▲▲」に異動して出会ったYチーフ。

Yチーフは以前からの知り合いでしたが、一緒に仕事をするのは初めてでした。

一緒に仕事をしていく中で感動する言葉がありました。
Yチーフは「▲▲▲事業所の現場を日清で一番明るい職場!日清で一番元気な職場!日清で一番働きやすい職場!を目指しています。」と。

この言葉に感動しました。

高齢者社員となった今、「日清で一番明るい職場!元気な職場!働きやすい職場」の言葉に元気をもらっています。

この言葉をいただいたYチーフに感謝とありがとうを言いたいです。Yチーフの心に心で返したい。Yチーフありがとう。

(名古屋支店 Nさん)

「どんぐりの背比べ」

「みんなどんぐりの背比べだよ。」その人は笑いながら言いました。

入社して間もない頃、ようやく周囲が見え始め、仕事の内容も分かってきた頃でした。

先輩から「もう少し早く出来ないか。」と何度も注意されたり、叱られて、気ばかりあせってしまい、頭と身体がかみ合わなくて空回りしている状態でした。

 それでも必死で毎日頑張っていたのですが・・・。

 少し自信がなくなって、「私にはこの仕事向いてないのかな。」と思い始めていました。

 たまたま横で仕事をしていた一人の先輩に、「なかなかみんなのように早く出来ない。どうしたらいいのか分からない。」とついつい愚痴ってしまいました。

 その人は笑って、「大丈夫、心配ないよ、みんなどんぐりの背比べみたいなもの。」って言ってくれたのです。

その言葉は私にとってどんな慰めや励ましの言葉より心強く、温かいものでした。その言葉がなかったら、もしかしたら・・・。

 当の本人はきっと忘れてしまっているでしょう。でも私にとっては忘れられない言葉です。あれから10年経ちますが、今でも彼女には感謝しています。

(名古屋支店 Kさん)

「ありがとう」

「お先に失礼します」「お疲れ様、ありがとう」「どんな形に切ったらいいですか?」「千切りが食べ易いと思いますよ」「分かりました。ありがとうございます」・・・事業所の皆は、よく「ありがとう」を使います。

特別大きな意味を込めている訳ではなく、「いただきます」や「おやすみなさい」と同じように自然と口にしていました。

休みの日、私は退院したばかりの叔母を見舞いがてら訪ね夕飯を作る事にしました。「あら、美味しいわぁ」そう言って食べる叔母に「ありがとう」と言うと、「私の方がありがとうって言わないといけないのに・・・」そう言って泣きそうになりました。

慌てて「違う違う、うちの会社の皆は挨拶みたいに『ありがとう』を使うから、口癖みたいなものだよ」そう言うと「良い事だねぇ。本当に良い事だわぁ」と少し笑みを浮かべて涙をふいてくれました。

ある日、仕事でミスがあり休憩時間を利用しミーティングをしました・・・注意事項や指導の後、言い過ぎたかなぁと気持ちが沈んでいた私に、「次からこんな風に改善をすればいいね。ありがとうございます」前向きにそう言ってくれました。

皆を支える立場でありながらその言葉にとても勇気付けられ、あの時の叔母も私と同じような気持ちだったのかと思い返していました。

何気なく使っていた「ありがとう」。これからは「ありがとう」という感謝の気持ちで受け取ろうと思います。

(中国支店 Tさん)

「日々感謝」

夜の洗浄パートとして72歳で入社をさせていただきました。

皆さん親切にしてくださり、幸せです。

私は現在75歳になりますが、同僚のOさんに「ありがとう」と感謝の気持ちがいっぱいです。

たまたま、「ありがとうの心運動」があることを知り、お手紙をいたしました。

現在、2名体制の仕事です。74歳の9月に膝を痛め、治療のために休暇をもらいました。

仕事を諦めようかと思い、Oさんに電話をしていました。その都度、「大丈夫よ。しっかり治療して。待っているからね。」と励ましてもらいました。

約1ヶ月、その間は厨房の人に手伝ってもらいながら、床モップがけ、洗浄・・・。

と毎日ひとりで頑張ってこられました。完治したのではないですが、復帰でき、また2人で働けるようになりました。

あの時、Oさんから「大丈夫よ」の言葉を言ってもらえなかったら、仕事は辞めていただろうと思っています。

9歳年下の彼女も、最近腰痛になってしまい、お互いに体のことを心配しながら、それでも、それとなく気を遣ってもらっていることがよくわかります。

今は働くことができるようになったことをとても嬉しく思い、働けることに感謝です。

お互いに「このふたりでよかったね。」と言っています。先に書きましたように、ひとりが休むと厨房の方に協力をしてもらうようになります。

自分の時間の仕事のあと、続いて洗浄の仕事をしてもらうことになって、とても苦労をかけていると思っています。

しかし、それを言うと、「大丈夫よ!」と明るく言っていただけますが、大変だろうなと思っています。

食事洗浄の仕事を3人ローテーションで勤務できたら、体調が悪いときでも安心して休むことができます。

75歳が目前となり、いつまで働けるか、少し不安でもあります。

しかし、Oさんが気を遣ってくれることに甘えてはいけないという思いです。「全然気を遣ってはいないよ。」といつも言ってくださいます。それもうれしくて、「ありがとう」でいっぱいです。

家にいるより、働くことが元気の源であるような気がして、できるだけOさんと働きたいと思っています。とにかく、岡ちゃんに「日々、ありがとう。そして感謝の心です。」

(中国支店 Kさん)