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CSR/社会貢献活動の取り組み

第五回 ありがとうの「心」運動 エピソード第五回 ありがとうの「心」運動 エピソード

応募総数 103通
テーマ:「入社して忘れられない思い出」

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「毎日の献立が最高の食育」

私の忘れられない思い出は、平成26年9月の給食会議です。

当時、入社1年目で、7月からチーフとなりました。右も左もわからないままの状態で毎日の業務に追われていました。

入社してすぐに事業所の責任者という立場になり、また、厨房で一番頼りにしていた社員の一名が入院してしまうという状況の中で、毎日現場と事務の仕事を行っていました。

ストレスからか、体中に湿疹ができてしまい皮膚科に通う事となってしまいました。

「きついのは自分だけじゃない。今を乗り切ればあとはいけるはずだ!」と自分に言い聞かせていましたが、自分の立てた献立にも自信を持てない状態でした。

そんな中での給食会議で施設長様より頂いた一言、

「毎日の献立が最高の食育になっている」

会議中ではありましたが、涙がでました。 毎日の辛い状況の中やっていけるか不安に思っていた時ですが、その一言によって頑張っていこうと思えるようになりました。

現在は自分のエリアのチーフを引っ張っていく立場となっていますが、それもあのときの施設長様の一言があったおかげだと思います。本当にあの時の一言には感謝の気持ちでいっぱいです。

(名古屋支店 Tさん:最優秀賞)

「先輩に相談をして」

入社して一番心に残っていることは、正直辛い思い出です。

しかし、その辛い時期を乗り越えられた出来事がありました。入社して1年目、始めの半年は調理などの現場の流れや衛生面を覚え、10月を過ぎた頃から少しずつ栄養事務にも入るようになりました。

現場とは違う頭の使い方、仕事の仕方がとても難しいと感じていました。そんななか、私は多くの失敗をしました。自分で自分を信じられなくなるほどです。

周りからも「できない新卒」と思われているのではないかと感じ、どんどん自信をなくしていました。まだ何もできないのに、辞めたいと思うことも何度もありました。

そんな時、何気なく自分の思いを先輩栄養士に話してみると、私の仕事ぶりを褒めてくれたのです。注意や指導を受けることがほとんどだったので、心の底からうれしかったです。その時から私の心のモヤモヤが一気に消え、少し楽になりました。

また、くよくよする前に覚えることがたくさんあると心を入れ替えることができました。あの時に打ち明けていなかったら、何もできないまま辞めていたかもしれません。

本当に先輩には頭が上がりません。ありがとうございました。まだまだ未熟ですが、これからもご指導よろしくお願いいたします。

(仙台支店 Sさん:優秀賞)

「100歳の重み」

私が担当しているデイサービスの職員の方から、100歳を迎える方がいるのでお祝いをしたいという依頼がありました。

日にちもあまりなく、職員の方からは、「急に決まったので全員赤飯にしてくれるだけでいい」と言われました。私はその内容で少しほっとし、安易な気持ちでSVに報告をしました。

ところがSVから「100歳生きてこられたその人生をどう思っているんだ」と指摘されました。思いもよらなかった言葉に衝撃を受け、自分の安易な考えにも情けなくなりました。

私はずっと大規模事業所を担当し、患者さまと触れ合うこともなく、どのように食事を摂られているのかもほとんど分かりません。経験年数は長いですが、業務をこなすこと、事業所をまとめていくことばかりに力を注ぎ、患者さま一人ひとりに寄り添った仕事はしていなかったのだと気付きました。

SVは多忙にも関わらず、その方のためにお品書きとお弁当箱を準備してくださいました。

私も何かしたいという気持ちが生まれ、献立の他に紅白まんじゅうと、折り紙で全員分の祝い鶴を折り、当日一緒にお祝いすることができました。

その方の100年生きてこられた人生の一瞬にでも関わることができたのは、私にとって貴重な経験となり、今回のことで改めて、「食事」の大切さや「おもてなしの心」について考えさせられました。この経験を生かし、一人ひとりに寄り添った仕事をしていきたいと思います。

(仙台支店 Hさん:優秀賞)

「自分の置かれた立場で頑張ろう」

2010年に入社して今年で6年間お世話になっています。

多くの利用者さまの給食を少人数体制で提供しています。

相手が都合で休んだ時のこと、私が1人で洗い場の作業、食事の後片付けをしている時に、利用者さまの1人がペットボトルを自販機から買ってきて「おばさん、これ飲んで頑張って」と私に差し出すんです。名前はタカちゃんというのですけれど、『タカちゃんのおこづかいなくなるでしょ』と私が言うと、「いつもおいしいご飯作ってくれて頑張っているのでお礼です」と。

うれしくて、もっともっとみんなに喜ばれる料理を作ろう、頑張ろうと思いました。

また、ある時は、言葉の少ない20才過ぎの利用者さまから、帰りがけに「今日のご飯おいしかったよ!!」とポツンといわれた時は疲れもどこかに吹き飛んでしまいました。

また、K地区の事業所に移った利用者さまで言葉が不自由な方が「今日のK地区での給食は五穀米のご飯だけど、どんなご飯ですか?」とメールで聞いてくるのです。

障がいを持ってはいるけれど、人の気持ちのわかる素直な利用者さまとのお仕事は、自分も素直になれて毎日張りがあり、やりがいのある仕事だと、この仕事で頑張れて良かったと思っています。

70才を過ぎていますが、他人に必要とされるよう、これからも自分の置かれた立場で頑張ろうと思っています。

(北海道支店 Tさん:ありがとうの「心」賞)

「頑張るのと無理するのは違う」

入社してもうすぐ1年になるときに、チーフになるお話をいただき、3月から新天地へ異動しました。

業務も初めて、土地もわからないことだらけのなか、東日本大震災が起こりました。現場は私のことを若いながらもチーフとして見ています。

ライフラインも途絶え、停電、断水の中、40人のお年寄りの命が私の手にかかりました。

施設側とよく相談、協力し、農家の方から炊き立てのご飯を届けていただいたり、水が出る家から水を運搬、食器を洗って運びました。

地元業者が入っていなかったため配送が途絶え、近隣の事業所に入っている八百屋に協力を依頼し、何とか食事提供を続け、震災の期間を乗り越えました。

震災中、仙台の同期から「地震、大丈夫?」との連絡がありました。…「え。大変なのはそっちでしょ!」ライフラインが普及しないなか、山形の私に心配のメールをくれたのです。

ガソリンもなく、泊り込みで何とか食事を出しているとのこと。「大変だけど、みんなと協力して何とかやっているよ」という同期のメールに心から励まされました。

私は、厨房の流れもわからず、チーフの業務すら身に付いていないなか、毎日一人で必死になっていました。「そんな働き方は良くない。

頑張るのと無理するのは違う。次にここの事業所でチーフになる人にも同じように無理させることになるよ」大切なことを教えていただきました。

チーフになって5年目。うれしい楽しいことばかりではありませんが、今こうして働けているのは、支えてくれている仲間がいるから。

頑張るとは一日一日に感謝すること。事業所では、まだまだへっぽこチーフですが、笑顔の絶えない職場を目指して日々の食事提供を頑張っていきます。

(仙台支店 Hさん:ありがとうの「心」賞)

「子どもの親はあなただけ」

育児休暇明けで勤務していたとき、子どもの体調が悪く続けて保育所からのお迎えの連絡があり、早退やお休みする日が続きました。

同じ事業所のパート社員の方に
「子育てして、仕事もしているのは大変なことだよ。
仕事をしていて急なお迎えや休みになったって、仕事は誰かがフォローしてくれるけど、子どもの親はあなただけ!! 誰も代わってはくれないのだから、しっかり子どものこと休ませてあげなさい」

と声をかけてくれました。この一言で本当にホッとできたことと、協力してくれる皆さんがいるんだと感謝の気持ちでいっぱいになりました。あのときがあってこそ、今も仕事を続けられています。みんなありがとう!

(仙台支店 Nさん:ありがとうの「心」賞)

「大雪の中で」

朝から雪が降り続き、昼までには腰までつかるくらいの大雪でした。

10時までには、病院の附属の保育園に給食を運ばねばなりません。しかし、大雪のためどうしても車が出せず途方に暮れました。

かいてもかいても降り続ける雪。雪。雪。

子供たちが待っているのでとにかく行かなければ!と思うのですが、私一人ではどうにもなりません。急遽、Fさんがスコップを持って手伝いに来てくれました。

タイヤが空回りして、なかなか、雪から脱出できず、ようやく保育園に向かったのは11時半でした。いつもなら、もうとっくにご飯が終わって、自宅に帰る準備をしている時間です。

しかし、保育園の先生たちは笑顔で迎えてくれました。給食は案の定冷たくなっていましたが、落ち込んではいられません。

お店(食堂)では、Oさんが一人で頑張っていました。病院の患者さんやらスタッフさんやら、皆さんよそに行けないため殺到していました。

いつもの3倍の人数をOさんが一人でさばいていました。お客さんのなかには「遅い」と言って食券を投げつけた人もいたそうです。

その後ろにも長い列。でもやるしかありません。3人とも、頭からびしょびしょでした。私とFさんは、雪で濡れたのと汗で、Oさんは、一人で切り盛りで、大汗かいて。

それでも、なんとかやり遂げました。私たち事業所のスタッフは、すばらしいでしょう。この3人だからやれたのだと思います。これが私の忘れられない思い出です。Fさん、Oさんいつもありがとうございます!

(仙台支店 Sさん:ありがとうの「心」賞)

「全国料理コンテストへの出場」

ひと夏の思い出に、自分が伝えたい「ありがとう」それは、全国料理コンテストに出場させていただいたことへの感謝です。

出場が決まってから目まぐるしく忙しくなっていきました。事業所での業務と平行して、顔合わせから始まり、打ち合わせ、練習の日々。

出場選手3人で、時には支店スタッフの皆さまにも参加していただき、一から形にしていきました。自分がリーダーとして、若い2年目の栄養士を引っ張っていかないといけないという思いもあり、調理・プレゼンテーションと練習がうまくいかずに落ち込むこともありました。

でもそのとき自分を前向きに笑顔に元気にしてくれたのは、同じ事業所で働く調理師さん、栄養士さんパートさんたちでした。「頑張ってね」「応援してるよ」たあいもないその一言がやる気と元気と勇気をくれました。

午前中は現場、午後は練習へと快く向かわせてくれた事業所の人たちにありがとう。忙しいなか、親身になってご指導してくださったインストラクター、SV、支店スタッフの皆さんありがとう。

約4カ月もの間、同じ目標に向かいお互いを高め合えることができたチームメイトの栄養士にありがとう。結果、優勝はできませんでしたが、調理師としての自分を成長させてくれた全国料理コンテストにもありがとうを伝えたいです。

そして、これからは自分たちの食事を楽しみにしてくれている方々に感謝される調理師になっていきます。

(北関東支店 Kさん:ありがとうの「心」賞)

「調理師免許を取れたのは」

私は、高校を卒業して日清医療食品に就職しました。

3年が経ち、調理師免許の受験資格を取りたいとチーフに相談しました。ただ、家でも家事をしたことがなく、勤めていても調理業務に携わったことがないためできるか心配でした。

チーフや現場の人にそのことも話したら、欠員で忙しいところ一から調理業務を教えてくれました。今では、50食まで一人で調理できるようになりました。

ここまで育ててくれた事業所の人にありがとうございますと伝えたいです。

今年調理免許を取り、現場の人に恩返ししていきたいです。また、高校を卒業して入って来る人たちの成長の手助けができたら良いなと思っています。

(東関東支店 Fさん:ありがとうの「心」賞)

「ザザ~ン」

2001年4月1日。20歳の私は短期大学を卒業後、栄養士として入社し、ある総合病院へと配属されました。

現在の療養型とは違い、当時は急性期のドタバタ事業所で、与えられた業務は現場での調理作業です。

想像していたカッコイイ栄養士業務(つまり事務職)とは程遠い、走り回って汗だくの現場作業・・・『何しにこの会社に入ったんだっけ?』と深く考える暇も無いほどに忙しい毎日を送っていました。

同僚はほとんどが50歳以上のオバハン。はっきり言って教えるのも下手くそで、そのくせ文句を言ってくるときは不思議と饒舌という理解不能な人ばかりで、『くそ~っ、くそ~っ!』と心の中で叫びながら業務を少しずつ覚えるので精一杯。

なかなか成長できない自分にもストレスがたまっていました。失敗の多い新人に対して、聞こえる陰口に『やめたい・・・』と思う日々。

そんな私に唯一理解可能な指導をしてくれたのが、1つ年上の先輩でした。決して目に見えて優しい人ではなく、どちらかというと厳しい人ですが、同じ現場の業務をテキパキこなしてカッコイイ、運動部の先輩のような女性でした。

ある日遅番が終わり、業務で小さな失敗をひきずっている私を見かねたのか、先輩が『時間ある?』と声をかけそのままドライブに連れて行ってくれました。

行き先は海・・・だったのですが、真っ暗で『ザザ~ン』という波音しか分からない中、『今日の失敗を注意されるのかなぁ・・』と構える私に先輩が一言、『まぁ、いろいろあるけどさ、がんばろうや。』とポツリ。

・・・真っ暗だったのできっと見られていないだろうけど、入社以来初めて涙が出ました。社会という大人の世界に入り、思っていた活躍もできず、ただジタバタしてるだけの自分を、きちんと見てくれている人が居たんだと思えました。

『辞めない』と決心した瞬間です。この日の出来事は忘れられず、今もずっと心に残っています。

あれから15年、今やオバハンやお客様とのコミュニケーションなど微塵もストレスにはならない強靭な心身を身につけましたが、自分の後輩となる人間には自分がその人のストレスにならないよう極力注意して接しているつもりです。

あの先輩は退職されましたが、日清にはまだまだそういう先輩が多く居ることを信じて自分も人間として成長できたらと思う毎日です。

(中国支店 Sさん:ありがとうの「心」賞)

「誰にでも1つ良いところがある」

私もこの会社に入社して早13年が経ちます。

どうしても忘れられないインストラクターの方の言葉が一つあります。その当時、事業所が立上げされたばかりで、毎日くたくたで、もう嫌になってしまいました。

ある日、事業所においでくださっていたインストラクターの方の言葉にいつも自分に喝を入れて今日まで頑張ってきました。

その言葉といいますのは、

「Fさん、みんなそれぞれ良いところがあるだろ?誰にでも1つは必ずある。そこだけを見なさい。それを盗みや」

と言ってくださいました。

「うーん、なるほど…そういう考え方もあるんだ…そうか…よっしゃ!!」

この言葉があったおかげで、それを目標にして頑張ってくることができました。本当にありがとうございました。

そして事業所の大先輩、ビシビシ指導していただき、右も左も解らない鈍くさい私を気長にここまで育ててくださいました。

今はもう退職されましたが…教えながら腹も立ったでしょうし、イライラもしたはずです。でも、とても解りやすく丁寧に、時には厳しく指導していただき、とても感謝しています。どうもありがとうございました。これからもみんなの良いところをどんどん取り入れて、吸収して…前に向かって進んでいきます。

(四国支店 Fさん:ありがとうの「心」賞)